うちにはun lacさんがいる。un lacの意味はun(ひとつの)lac(湖)。
un lacさんは、感情やイメージを言葉にするのは苦手な方だと言っている。
特に、スピード感を求める言語化は非常に苦手だと言っている。
僕はどちらかというと言語によって物事を理解するタイプなので、この点で根本的な性質の違いがある。
僕が高負荷な言語タスクをふいに投げると、彼女はよく処理落ちする。ごめんなさい。
ただ正確には僕は、彼女が本当は言語が得意なことを知っている。
彼女は彼女独自の言語を持っているのだ。
僕は思わぬ速度と角度から飛び出すun lac語録に日々笑わせられるとともに、感動することがよくある。
ここではそんな”今日のun lacさん”を、みなさまにお裾分けしたい。
僕もun lacさんも美術が好きなので、よく作品を観に行ったり、作品について話したりする。
共通して好きな作家に荒川修作がいるのだけど、そのことについて電車で話していた時のこと。
「三鷹の荒川修作とマドリンギンズの家、観に行きたいね。」
「そうだね。」
「養老延命反転地も行けてないし、この前画像で見たNagiMOCAも。旅行で行きたい。」
「行きた い。」(これ以前も含め、ほとんど僕が一方的に喋っており、脳みそが休眠モード)
「あのスケールを感じたい。」
「行きたいね。」
「ん〜ふと思うんだけど、荒川修作って、立体作品はあんなにほとばしってるのに、絵画になるとなんで急にミニマルでクリーンになるんだろうね。不思議じゃない?」
その時彼女はこう言いたもうた。
「それは神視点だからでしょ。(即答)」
un lacさんは荒川修作の中でも特に絵画作品が好きなのだが、絵画の話が始まった瞬間に脳が突如覚醒したのだろうか。
あえりない速度だった。速すぎて僕とun lacさんの言葉が繋がってた気がする。
そして速いだけではない。
速く。そして驚くほどに論理が飛躍しているのだ。
でも実際のところ僕はこの意味を理解したので、面食らうと同時に、ああ確かになと思い、話が終わった。
これについて何度かun lacさんが話していたことを思い出したのだった。
荒川修作は、生と死。瞬間と永劫。
そういった人間には処理できない莫大な情報を、現世に実体化しようとした作家なのだ。
立体作品においては、歪む時空の中に”私がいる”。
絵画作品では、時や場所や物を表す名詞が、キャンバスに、淡々と図示されているのだ。
ごく澄み切った、超常的な銀色の平面に必然のごとく刻まれている。
この平面には事柄ではなく存在のみが、ただ在る。
「それは神視点だからでしょ。」
この上なく的確で無駄のない一文
私は感動しました。
荒川修作は、立体でも、平面でも、一貫して同じことを表現していたことに、un lacさんの言葉で気づく。
un lacさんは、僕が感動していることも知らないだろう。
また2人で荒川修作の絵画を観に行きたい。
荒川修作、あまり絵画のイメージないかもですが、素晴らしいです。
デザインの視点でもすごく鮮やか。ぜひご覧になってください。
今日のun lacさん、おしまい。