水脈と自由 - Water Veins and Freedom
released August 29, 2026
新曲が出ました。
3年4ヶ月ぶりです。
この期間、DJをしたりはしていたけど、正直軸を失ってたという記憶が強い。
今思えば、もっと目の前のことを楽しんで手を動かしてたらええねん。とも思うんだけど、正直自分でも自分のことがよく分からなくなってたってことが大きかった。なんなら、目の前のことを楽しむってどゆこと?ってなってたんだと思う。
これは僕の性分なのだけど、自分のやっていることが世の中的にどうマッピングされるか。友達や先輩との関係の中でどこまで行けるか。みたいなことから色々考える節がある。
でも、この期間で一番気付けたのは、どこまで行っても世界全ての他人を無視してでも、自分が健やかになれるように手を動かすべきだということ。
これって、すごく排他的なのでは、と少し前の僕なら思ったろうけど、本当は違うんだよね。誰かの軸で生きたら、その誰かは喜ぶかもしれないけど、そういうことをやっているうちに、僕。もっと言えば、僕の過去から未来に続く道とか、キラキラした感情とかが知らないうちにすり減っていくんだよね。当たり前のことなんだけど、責任!みたいなことからスタートするのは、偉いことだし、たとえば会社ではそういう人が強いのかもしれない。
でもさ、音楽でそんなことしてどうすんねんと改めて思ったんだよね。(もっと言えば、俺普通に働いてもいるわけだし。)
これは僕のセーフプレイス。僕が過去や未来の僕が喜ぶために、クレヨンで遊ぶように、手を動かす場所。
そして何より。何より、それを大事にしてる人が、いい作品を作ってるなと思えた。
それは、現場のライブだったり、DJだったり、イヤホンから流れてくる音楽だったり。見ていると、僕が排他的だって思ったことも、結果その素直な作品が人を笑顔にさせるし、泣かせるし、ありがとー!って声が出るような作品を産んでく。今まで自分の体で体験したことと、考えていることが結果的につながった。
じゃあ、そういう風に作ろう。って思ってできた曲が、「水脈と自由」。
まだまだ、荒削りだけど、出した直後から「作ってよかったー」って思った曲は、初めてかもしれない。
ほんとそういう風に自分ってなんなんだろうとか。心動くものないな...。って鬱々としてた時に、久しぶりに感動できたのは、窓から見えた、夕日が落ちる空だった。
思えば、自分の精神について悩んで、本当にどうしようもない時に、いつも僕の心に風を吹かせてくれたのは自然だった。
About the artwork.
左下 : 去年の5月に行った群馬。万座山。万座温泉の周りは標高が高くて、まだ雪が溶け切ってない。でも、もうなくなろうとしている雪の下には青々とした草木がもう見え始めている。この群馬と長野を横断する力強い山脈の下にも、脈々と地下水が流れている。
右下 : 地下水というのは、目に見えないけど、地表に流れる川以上に無数に分岐している。砂利や泥に浸透する水まで入れたら、水脈とも言えば言えないような本当に無限の分岐になり、海に向かって流れていく。彼は意識的にそうなっているだけだけど、人間ってきたねーなあって思う瞬間があるごとに、人間が生まれるずっと前から、滅びた後も、この自然はそういう浄化のシステムとか、美しさのためのネットワークを持ってるんだなと思うと、人類がどうとか、自分の悩みがこうだとかいう問題で潰れる前に、そういう水を手で掬って、冷たいなとか。透き通ってるなとか。そういうことを思い出してから、人の世界に帰っていきたいなと思う。
右上 : 世界が全て自然に還ればいいのに、とその瞬間は思うけど、そうはいかない。世界がどんな混沌でも、僕に生きる元気をくれたシステムや友達も、やはり人間社会あってのものだ。アンビエントには、やはり自然讃歌の側面が少なからずあると思うけど、僕としては、どうしてもそこに人の気配を入れたい。人の名残や手触りみたいなものだろうか。もちろん誰でもいいわけじゃない。けど、水脈が流れて行った先は街がある。灯火がある。生活がある。曲は、無数に溶けて行った水脈がみた景色を想像して作った。だから、人の営みに触れるシーンがあります。それが曲のどの部分か探してみると面白いかも。水脈は必ず循環する。地球の水の量は全体では変わらない。かつては、世界のどこかの川だったものが、果てしない大海に出て、目に見えない水分子となって空に浮いて行った。またどこかの雨になる。形あるもののいつか砂になる。僕らの生もそういうもの。だから水脈のように生きれるはず。水脈のように、重力のままに濾過されて、流れて、まとまって、離れて、サラサラと。キラキラと。
私は川です。
名前を持っていますが、絶えず変化しています。